小学校受験と「食」について

小学校受験を始めるまで

小学校受験の準備をするまでは、食について全く興味がないわけではないものの、「食べられたら良い」という、どちらかというと自分自身、家族に対しても、義務的なものの1つとして捉えていました。

仕事と育児の忙しさを言い訳に、食が与える影響や、効果などにもあまり考慮できていなかったと思います。

ところが、子供が5歳になり小学校受験を検討し始めた頃から、小学校受験の「試験内容」には実に食に関わる問題や考査、面接内容が多いことを知りました。
それは、野菜、果物、穀物、生物などの固有名詞から、それらの生育環境、季節、それらが元になる献立名や作り方、配膳の方法、マナーなど、一朝一夕では覚えられず、また実際に体験をしないと応用には耐えられないと思われるものばかりでした。

これまで料理のお手伝いをしたがったりしても反対に大変になるからと断ったり、食事マナーに問題があっても見て見ぬふりをしていた自分に深い反省をしました。

そこから心機一転、「食」のことに関しては、全てを実体験させ、試験本番までには本人のと得意分野にさせようと、親子で取り組みました。

「食」について取り組んだこと

まず、朝ごはんは食べたり食べなかったり(作ったり作らなかったり)ということをやめ、必ず家族で食べるようにしました。朝から家族で食卓を囲み、食事についての話題で1日の家族の会話が始まりました。

幼稚園は元々給食でしたが、お弁当でも可能な園でしたので、お弁当に切り替えました。
もちろん給食でもよかったのですが、娘がお弁当を喜び、「今日は◯◯が甘くて美味しかった、春だからかな」「明日は◯◯を入れたいから、一緒に作りたい」「今日のブロッコリーはどうして白かったの?」などの会話をするようになり、お弁当作成は約1年続けました。
お弁当を開けると、お友達がお弁当のことについて色々聞いてきてくれて、その時間がとても嬉しいと言っていました。

幼稚園から帰り、長い時では5時間以上続けて机に向かうこともありました。そんな時、「今日の夕飯は何?」「頭のよくなるお魚がいいな」「昨日掘ったお芋を使った料理をしたい」など、娘にとって勉強のストレス発散や、楽しみの一つが夕飯の支度と家族での夕食だったようです。

1日3度の食事を毎回大切にし、食材の仕入れから調理の時間を共にし、それを一緒に食すことにより、娘との会話が圧倒的に増えました。

自分の幼少期を思い出しても、母親(時に父親も)とのこのような時間は、とても優しく温かいもので何よりの心の安定剤になっていたのだと思います。
若干6歳で毎日毎日勉強を強いられるのは、辛い時の方が多かったと思いますが、食を通じたこのような取り組みが、親子としての絆を圧倒的に強いものにしてくれたと思います。
それは「食」という、人間として当たり前のこと、毎日の中で占める割合が大きいことだから故のことであり、もしこれが、もし他のテーマだとここまでのものは得られなかったのではと思います。

「食」を大切にすることで得られたもの

自然と栄養があるもの、バランスの良い食事となっていったからか、月に1度は風邪で休んでいた娘も、年長児に体の不調で幼稚園を休むことはほとんどなくなっていました。風邪の流行る本番11月12月も体を壊すことなく、全力で試験に望むことができたと思います。

食事との直接の関係性は証明できませんが、年中時の成績は偏差値でいうと50に足りなかった娘ですが、試験直前の模試では偏差値は70近く、ペーパーはどこでも大丈夫と言われるほどになっていたのは、脳に良いとされる「玄米」を毎日の食事の主に切り替えたことも功を奏したのではないかと思います。

季節の狩ものに家族で出かけ、魚釣り、野菜堀りを体験し、自分で育てたネギやしそを食すことで、少しずつ食べ物に感謝することを覚えたようです。
鶏や豚が人間のために死んでいくテレビを見せた時は、涙しながら「ありがたい」と言っていました。

「食」から得られる体の健康と心の豊かさを娘なりに実感したようで、食べ物、生き物、そして健康に興味を持ち始めた娘は、将来は「みんなが元気に暮らせるように、病院の先生になりたい」と言っています。

きっかけは、小学校受験の試験対策のための「食」の見直しでした。
知識として覚えれば良い、と最初は思っていました。
しかし、結果としてそれらの過程を通して得られたものは、親子・家族としての絆、体・心の健康、考える力と感じる心など、想像もしていなかったほど大きなものだったと思います。